『縷々』現在
拝啓、とりあえず二十歳になった僕へ
心身の調子はいかがでしょうか。
僕は現在、うつ病、パニック障害(不安神経症)、境界性パーソナリティ障害と闘いながらニートをしております。
ご存知の通り、大学は2日で辞めました。
僕にはもう限界だったのです。
結婚まで約束していた彼氏ともお別れしました。
お忘れではないと思いますが、僕が電車で過呼吸を起こした時に他人のフリをされた挙句、鼻で嗤われ、そして「俺の誕生日を台無しにしやがって。毎回介助させられているこっちの身にもなってみろ。恥さらし」といった趣旨の事を言われたもので……。
さらに後日、都合のいい女として利用されかけ「病気や薬のせいじゃなくてオマエの頭がおかしいんだよ。死ねばいいのに。」というお言葉を頂戴致しました。
最後に届いたロミオメールならぬ手紙で心を惑わされた僕は彼に電話しましたが、無視を続けられた果てに塩対応。
何が「復縁したいと思っていた。別れた今でも貴方は大切な人です。」だ。
さて愚痴になってしまいましたが僕、2019年7月20日の時点で3回自殺未遂をしております。
一度目、3月20日は大学への不安から。
夜中の住宅街を部屋着のまま駆けつけてくれた友人、菜々美に助けられました。
彼女は僕が首吊りをしたツイートをたまたま目撃し、私の母に電話してくれました。
命の恩人です。
当時お付き合いをしていた彼氏には「恋人も友達もいて大学も行ける幸せな奴が死ぬなんて腹が立つ。」と油を絞られたものです。
二度目は終わりの見えないニート生活への焦りから。
薬を52錠服用致しました。
6月25日の出来事です。
幸い、目が覚めてから少々眩暈がした程度で済んだのですが。
三度目、7月16日は「失うものは何もない」という虚しさから。
各々の進路に向かっている友人の目には、まるで僕の姿は映っていないでしょう。
体は生きているのに、心も存在している筈なのに存在を確認して頂けない。
ひどく寂しく悲しいものです。
それならばいっそ、本当に消えてしまおう。
そう思い98錠服用致しました。
前回と同じ誤ちを犯さないようにと増量したのです。
飲んだ瞬間恐ろしくなり、母に伝え病院へ行きましたが、意識朦朧としてしまい大惨事。
母に抱きかかえられながらどうにかタクシーで帰宅したそうです。
母には「次死のうとしたらスマホ解約だから。」と言われたので、当分はしない事でしょう。
何故なら僕の親友はスマートフォンであるから。
スマホを通してみるとあら不思議!
たくさんの友人に囲まれているのです。
老若男女は関係なし。
多くの方々が僕のことを心配してくれます。
生きている、血が身体を巡っている実感を得られるのです。
ここで一人称が「僕」な理由を種明かし。
現代の日本での女性の地位が低いという問題のせいか、はたまた兄弟喧嘩にまで男尊女卑を持ち出してくる母のせいか、僕は自分が女性であることにコンプレックスを抱いているのです。
女性だからと見下されたり、逆に色目を使われるのは真っ平御免です。
だから「僕」はインターネットの世界の「縷々ちゃん」(僕のユーザー名)として今は生きていたいのです。
先日、二度目の自殺未遂をした後、Twitter上で繋がっているある方(以下Bさん)とお出掛けをしてきました。
ええ、リスクがあるのは百も承知。
親に知られたら大目玉を喰らうことでしょう。
それでも僕には必要だったのです。
生身の人間の温もりが。
スマホ越しでもない、手紙越しでもない、誰かの体温が。
だから大目に見てやってください。
くれぐれも両親には秘密でお願いしますよ!
Bさんとは鴨川シーワールドとカラオケへ行きました。
とても楽しい時間であっという間でした。
頬の筋肉がつりそうになる程笑いました。
我ながら日頃の表情筋の怠け様に驚きました。
Bさんは帰りの車の中でこう言ってくださいました。
「今日は縷々ちゃんが笑ってくれて、喜んでもらえたようでよかった。でもこれで終わりじゃないからね。次はもっと楽しくさせるから。だから生きて。」と。
これだけ自分のことを気にかけてくださる方がいる僕は幸せ者です。
本当に有難いことです。
この胸の高鳴りはどうやって言葉にすればいいのでしょうか。
笑顔が少しでも恩返しになるかしら。
ところで僕は、自分が不幸だとは微塵も思ったことはありません。
ある事象に対し、正か誤か、好きか嫌いか、幸か不幸かを決めるのは全て主体である自分です。
要するに僕は不幸にも幸福にもなれる訳です。
それならば幸せになってやる方が贅沢ではありません?
今までの理不尽を反逆精神に変えて、うんと幸せになって見返してやりたいのです。
僕らはつい、選ばなかった方の道に未練を抱き、また、これから待ち受けるであろう道に「最良」を求めて挑みがちです。
しかし住めば都。
「最良」なんて何処にも有りはしないのです。
もし僕が心身ともに健康だったとして。
恐らく青春を謳歌し、勉学にも励み、レベルの高い大学に入れていたことでしょう。
全部が今の僕と正反対。
でも、下を向き続け歩いた道中にも転がっているものはあるものです。
ネットの友人や文通相手の「お父さん」、分析的な性格、豊かな感性。
誰もが自分の持ち物を大事に思い、それぞれの幸せをカスタマイズする権利があるのです。
他人に笑われたって、大切なものはギュッと手の中に握って宝物にして良いのです。
今の僕には他者を思いやれる余裕はあまり残っておりません。
自分自身でさえ手に負えません。
だから、上記のことはそんな自分にしてやれる数少ないアドバイス。
僕の病気がもし完治したとして、所謂世間様の仰る「普通」になれたとしても、これらの事だけはどうか忘れないでいてほしいのです。
僕がもがきながら手にした幸せの方法だから。
今の自分、未来の自分へ想いを馳せるのも良いですが、たまには一休みして過去の自分を思い出してあげてください。
精一杯生きている僕からのお願いです。
それではあまり無理をしないように。
そしてどうか、自分だけは自分の味方であるように。
よろしく頼みます。
2019年7月20日縷々
P.S.今の僕の夢は愛犬のリリィちゃんと二人暮らしをすること。
できれば海の見える所に住みたいです。