『縷々』高校時代
私が入学した高校は落ち着いた校風で、真面目な生徒が大半を占めていた。
校内で顔を合わせる人皆が、自分よりも遥かに優等生に見えた。
また、虐めの噂どころか人の悪口すら耳にする機会がなかった。
各々が自立しているので面倒な役割を押しつけられることもない。
つまり私の出る幕は無くなったわけだ。
「友達になろう」と声をかけてくれる人が何人かいたので、通学や食事等を共にしていた。
嬉しかった。
それなのに何故かしんどかった。
都合良くこき使われる事に慣れていた私には対等な友情が分からなかったのだ。
無償で親切にされたり、一定以上の距離に近づかれたりするのが怖く気持ちが悪い。
私より魅力に溢れる人はたくさんいるのにどうしてこの人達が私と親しくなろうとするのか、理解できなかった。
同情で仲良くしてもらっているのだと想像すると自分が惨めで堪らなかった。
私は独りを選ぶことに決めた。
通学中の電車で無言でその場を離れたり、食事の席では黙り込んだりすることが増えた。
それでも距離を縮めるのに一生懸命な人達がいて、申し訳なくなった。
たまに期待に応えようと過剰に頑張って笑顔を作ってみせることもあったが、どっちつかずな自分に情けなさを覚えるだけであった。
親に相談したら「甘えるな」と怒られてしまった。
幸い、他校に親友と呼べる人はいた。
菜々美と岩戸だ。
彼女らの話を聞くと、どうも仲間内でしょっちゅういざこざが起こるらしく、その仲介役に回ることが多いそうだ。
生徒の民度は圧倒的に私の高校の方が恵まれている。
そんな中で人の役に立っている彼女らは輝かしく、尊敬していた。
同時に、生ぬるい環境にも適合できていない自分を恥じた。
それでも、数少ない友人だったので密かに依存していた。
それに対する申し訳なさもあり、新しい場所で上手くやっている彼女らにとって、自分の存在が迷惑になっていないか不安だった。
こんな風に、息をしているだけで自分の醜い所が見つかる毎日。
「死にたい」が「死なないといけない」に変わってしまった。
孤独と不安の日々の中で、同校の知らない男子(以下K)からLINEが来た。
チャットだけのやり取りは気楽だったし、Kも友達作りが上手く行っていないようなので気が合いそうだと感じた。
ある日Kから「一緒に帰ろう」と誘われた。
初対面だ。
Kは小太りで、顔立ちが整っているとはお世辞にも言い難かった。
男慣れしていない私はなんとなく決まりが悪く、Kの後ろに付くようにして最寄り駅まで歩いた。
電車に乗ったとき、隣に座って良いか尋ねられ、頷いた。
彼は寝たふりを始めた。
気まずくて私も同様にした。
するとKは私の頭を撫でたり、肩を抱いてきたり、太ももに触れてきたりした。
恐怖で頭が真っ白になり、顔を上げられなかった。
乗車時間の30分間、私はその怖さと気持ち悪さに耐えなければならなかった。
縁を切りたかったが、私の変な義理堅さ故、彼とのやり取りは続き、告白されるまでに至った。
何故私のような奴に興味を持ったのか疑問に思い「私でいいの?」と返した。
他意はなかったのだが、その一言が承諾だと捉えられてしまった。
そんな流れでKと付き合うことになったが、悪いが本当に魅力のない人間であった。
(人間関係は合う、合わないなので、彼にも私が知らない長所はあったのだと思うが。)
登下校を共にしていたのだが、話のネタは一方的なKの趣味解説か他人の愚痴か自慢話ばかり。
私は4種類程度の相槌を使い回して聞いていたが、彼は特に気にも留めていないご様子。
それだけならばまだ我慢できるが、電車内でのキスの強要はきつかった。
断ると「泣く」だとか「死ぬ」だとか言って脅すのだ。
私は作り笑いをしながら渋々受け入れる。
ある時、その最中の写真を上級生に取られ、跡をつけられた。
不思議なことに全く怒りが湧いてこなかった。
自分だから仕方がないという諦め。
もう一人の自分が「オマエ狂っちまったな」と呆れていた。
結局、彼とは三ヶ月で別れた。
少し悩みを漏らしたとき「全部自分が悪いんだろ。」と責め立てられ、頭の中で何かがプツリと切れたのだ。
一方、成績は、最初の定期考査でクラス最下位というとんでもない結果を出してしまった。
授業中の居眠りと「どうせ駄目だ」と開き直って勉強をしなかったからだろう。
しかし、どうも身体が怠くて何もする気が起こらないのだ。
強制的に塾に入れられたが、体調が振るわず全く集中できなかった。
どういうわけか顔は火照り、頭は重く、手足に力が入らなくなってしまうのだ。
一日が長く、一年が短かった。
大した思い出も残せないまま受験生になった。
心身共に限界だった。
先程挙げた謎の体調不良と情緒不安定がつらかった。
毎日のように塾のトイレで訳もなく泣いていた。
帰り道、人混みの中でも涙が抑えられなかった。
漠然と怖くて不安で寂しくて堪らないのだ。
それでも大学生になって一人暮らしをするという夢を叶えるべく、休日も缶詰め状態で勉強をした。
しかし、もう耐えられなかった。
ある日、帰宅後リビングで「つらい」「怖い」「嫌だ」「死にたい」と泣き叫び、のたうち回っていた。
この頃から精神科へ通院するようになった。
薬の作用と家族の病気への理解を得られたことで少し気が軽くなった。
大学は試験のラクさと寮がある大妻女子大学を受験し、合格した。
卒業式は呆気なく終わってしまった。
もっとクラスメイトと会話をしておけばよかったと今更後悔。
人に興味はあるのだ。
未だに高校時代の夢を見るが、その度にニートをしている現状を突き付けられ、落胆するのであった。