『縷々』中学校時代
小学校で得た教訓を活かし、私は都合のいい役を演じることになった。
小馬鹿にされても、面倒な役目を押し付けられても、くだらない愚痴を聞かされても笑顔。
キャラクターはおっとり系毒舌女子。
時々他人に対して陰で辛口な事を言うと、みんな自分が偉くなったつもりで喜ぶのだ。
女子に妬まれないよう男子とは極力口を利かず、興味のない井戸端会議にはノリノリで食いつくフリをした。
ひどく性悪なのは自覚しているが、これらを自然にやってのけられる人が「普通」とみなされる世界だったのだ。
誰もがスクールカーストの最下層にならないよう、必死で互いを繋ぎとめながら他者を蹴落としていた。
私も演技としてそれを行っていたので些か罪悪感はあったものの、多くの人に気に入られて心地よかった。
「友達」と言ってもらえた。
それでも舞い上がってはいけない。
相手は私の嘘に好意を持っているだけであり、私の人間性には一切興味を持っていないのだ。
出しゃばった真似をしたらすぐに虐めのターゲットにされるだろう。
だから私は、常に自分が格下である自覚を持ち、マイナスをゼロにするつもりで、見返りは一切求めず笑い続けた。
座右の銘は「期待しない」「諦めが肝心」。
そんな私の内面には誰も無関心で、笑う度、言うことを聞く度「優しい子」という烙印を押された。
引き際が分からず疲れていたが、自分の心を誤魔化し続けた。
唯一の救いは部活動だった。
絵を描くのが趣味であり特技であった私は美術部へ入った。
そこは思い描いていた世界とは違っていた。
みんながアニメや漫画の話で盛り上がっており、私が入る余地はなかった。
しかし幸い、私同様居心地悪そうにしている生徒、岩戸がいたのだ。
初めはお互い手探りで会話をしていたが、少しずつ行動を共にすることが増えた。
彼女は大人しいながらも自分をしっかり持っている人だった。
さっぱりとしており、余計な嘘を吐くことをしないのでとても話しやすかった。
ありのままの自分でいられた。
また、岩戸とは笑いのツボが合ったので色々悪ふざけをして楽しんだ。
ピカソの奇妙な絵のコピーを引っ張り出してきて「ボブ」と名付けたり、顧問の先生に奥さんとの馴れ初めを聞いて冷やかしたりした。
その先生は気前の良い方で、差し入れにお菓子を持ってきてくださったり、お寿司を食べに連れて行ってくださったりした。
今は「岩戸と私がハタチになったらお酒を飲みに行こう」という約束を交わしている。
しかし、2年生になり顧問が変わってしまった。
けじめにうるさく、さらに自分のものには何でも「個人私物」と書かれたシールを貼っているケチな人だった。
そんな中、新たに仲間が入ってきた。
小学生の頃から仲の良かった菜々美という生徒だ。
教室では目立たないが、打ち解けるととても面白い人物だ。
私と岩戸と菜々美の三人は新しい顧問(通称P)に小さな反抗をした。
Pの個人私物であるテープを勢い良く引っ張ったり、Pの鉛筆削りに折れた鉛筆の芯を詰め込んだりして反応を楽しんだ。
菜々美が大量のゴミの持ち主だったので(彼女は捨てるということをしないようだ)、それを部室のゴミ箱に捨てて、Pに頻繁にゴミ出しへ行かせたりもした。
一番思い出に残っているのは、製作時間中のお喋りを禁止されたことへの反発として、とにかく物音を立ててやろうというものだった。
筆記用具を床に落としたり、筆箱を何度も開け閉めしたり、挙句の果てには机を叩いたり。
これにはさすがのPも苦笑い。
「静かにしろおぅ〜。」と言われた。
(Pはいちいち語尾が長かった。)
あとはPの似顔絵や迷言を書き留めたノートが6冊ある。
今となっては大事な思い出の品で、これが卒業アルバムで良いのではないかと思っている。
ちなみにPは私達の行動を黙認しており、何だかんだでトムとジェリーのような関係であった。
ところで私の時計は中学2年生頃で止まっている。
それ以前の記憶は別人のもののようであるし、それ以降は記憶の溜まり方が浅く、靄がかかっているようだ。
この頃から私は無気力、疲労感、情緒不安定等に悩まされていた。
漠然とした希死念慮もあった。
恐らくうつ病の初期症状だったのだろうが、周囲にうまく伝える術がなく、一人で抱え込んでいた。
3年生。
私は自分の進路に無関心。
一切受験勉強をしなかった。
親から言われる嫌味さえどうでも良かった。
なぜなら私の進路は、偏差値第一で親が勝手に決めるから。
結局、どうにか後期で偏差値60程の進学校へ入ることができた。
別段努力はしていないので、大した感動はなかった。
周囲の褒めちぎる言葉も胸に刺さらなかった。
他人事のようであった。
そんな冷めた調子で卒業式もテキトーにヘラヘラしていた。
貶し合っていた癖に泣き崩れる生徒達を心底馬鹿にしていた。